「田本写真帳(田本アルバム)」の概要について

田本アルバム田本アルバム2
アルバムの外観 (縦)27.3×(横)36cm 66頁 写真総数237枚

  「田本アルバム」は、表紙には「写真」「田本」、背表紙に「Photograph Book.」「TAMOTO」と書かれた革製の写真帳で、昭和39年4月14日に函館市長も務めた名誉市民、斎藤与一郎氏の遺族から寄贈されたものです。アルバム中には箱館奉行所(慶応4年頃)や函館港の俯瞰写真、函館以外の江差や松前、小樽、札幌、択捉島などの風景写真も収められています。
 撮影者の田本研造(別名、音無榕山)は、1832年(天保3)、現在の三重県熊野市神川町の農家に生まれ、23歳の時に医学を志して長崎に赴き、医学や電気・化学などを学び、1859年(安政6)に箱館に渡りました。
 その箱館で、写真術をたしなむロシア領事館医師ゼレンスキーに出会うこととなります。間もなく、田本は凍傷で右足を切断、医師となることを断念して、ゼレンスキーから本格的に写真技術の手ほどきを受け、慶応2年頃から写真師として活動を始めることとなりました。
 写真術を習得した田本は、横山松三郎や木津幸吉ともに北海道の写真黎明期に活躍、開拓使の依頼により道内各地に赴き、各地を撮影、当時の風景や習俗を伝える写真を多数残し、その写真は北海道のみならず日本写真史上貴重なものとして位置付けられ、後に道内各地で活躍する多くの写真師を育てました(1912年[大正元]死去)。

田本研造 写真場
田本研造とそのの写真場(会所町、 明治11年4月撮影)